ひとつ前のブログを読んでくださった方はわかると思うのですが
私は中学二年生の時母に連れられて精神科に行きADHDの特に重症な子だ。
とお医者さんに言われてしまいます。自覚があって病院で診断してもらお
うという感じではなくて、絶対病気なわけないと自信満々で行ったからか
とてもショックだったのを覚えています。診断された後初めて聞くADHD
という単語にいやでも興味がわいてしまい調べました。調べているとネッ
トで診断できるようなものもあり割と多くの人が診断結果ADHDという声
がありました。「なんだ、全然珍しくもないんじゃん」と思ったんですが
実際に友人が診断してくれて結果を聞いてみるとその子もADHD。全くAD
HDっぽくない子にも診断してもらってもADHD。逆にADHDだろうなあと
思ってた子は違ったりで何をもってしてADHDというのかわからなくなり
ました。
私は今でもADHDの自分を否定してしまいます。というより治療を受けた
いとは思わないのです。自力で治るんじゃないのかな?って。いろいろ自
分研究をしていくと自分がとにかく衝動性がすさまじいことに気づきます
。この衝動性さえ抑え込めれば特別目立った、人とは違う行動や言動を控
えられるんじゃないかと思い冷静な精神状態が欲しいと考えました。それ
からはできる限り冷静に冷静にと言い聞かせて気を付けていました。慣れ
たらなんてことありませんでした。が本当の自分を隠しただけにすぎませ
ん。根本的な改善にはなっていなかったと思います。年を重ねる度に少し
づつ少しづつ成長と言っていいのかわかりませんが忘れ物も減ってどこの
何を置いたかもすぐ思い出せるようになりました。一番ひどいなあと思っ
た忘れ物は小学生の時だったのですが長期休暇明けの登校の日、絵の具バ
ッグだけを持ってランドセルを家に置いてくるという😂
ランドセルがないのに気づいたのは教室に向かう階段の途中でした。自分
でもなんで忘れたのか理解できなくてフリーズしました😂置いたものの場
所も全く思い出せず家の鍵は小学生の時点で3回ほど失くしていて4個目
の鍵は作らせてもらえませんでした🤧
思い出せないことに苛立って物にあたったり自分の意見が通らなければ物
を破壊しまくり、今思えば普通に余裕で病気なんじゃないかと思う行動っ
ぷり😂
家の外では外の顔があったので学校の友達や先生からは変な子という評価
は全くありませんでした。内弁慶といったとこでしょうか。家での姿は外
では絶対に見せられません。内弁慶の末路は実の母親に出ていけ!と追い
出されるかたちになりました。実の母親でこうなら他人である友人には見
せられません。他人と言っても友人は心のよりどころだったし今でも友達
のことが大好きで人生になくてはならない存在だと思っています。絶対に
失いたくないという気持ちから自分を隠す道を進みました。
私の今の課題はADHDだからという因果関係を断ち切ることです。どのタイ
ミングで陥るのかはまだはっきりわからないのです。昔に比べればかなり
順調に生活できているのですがふとした瞬間に病み期に入ります。その時の
気持ちを書いたブログがひとつ前のブログです。
あのブログを書いた日から何日後に又来るのか、研究中だから楽しみにな
っていますが病み期中は本当にメンタルしんどいです😔
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病み期に入らなければ楽観的だし楽しい気分でいられます。何が原因で病み
期に入るのか、どのくらい続くのか、ホルモンバランスとの関係についてな
どをこれから自分研究していこうと思います。
精神科の向精神性の薬は飲みたくなくて自力でどうにかならないか奮闘します。