私は昔から母に怒られる事がたくさんありました。
「なんでいわれたことができないの?!」
「自分で考えな」
この2つの言葉が記憶に深く刻まれています。
兄もそうです。兄もいつも同じようになぜ言われたことができないのか。と怒られていました。母は私たち兄妹に困り果てて色々ネットで調べたんでしょう。ある日突然精神科に行ってみないかと言われて母、兄、わたしの3人で病院に行きました。私は当時14歳でした。3人とも診断が終わり結果を聞くとわたしが一番症状が重かったんです。
ショックでした。いつも怒られてはいたけどまさか自分が一番症状が重いだなんて思っていなくて。
お医者さんは母に言いました。この子たちを怒ってはいけません。って。母は泣きながら気づいてあげられなくてごめんね。いつも頑張ってやってたんだね.と謝ってきました。頑張ってるつもりはなかったんです。わたしは。でも自分で気づかないくらい頑張っていたんだと理解した時頭が真っ白になりました。
私には当時沢山友達がいました。それって今までの自分への評価だと思うんですよ。
挙動や言動がおかしければ友達がたくさんできることもないでしょう。
勉強も普通にできたし運動も普通にできた。頑張ってるつもりなんか本当になくてただ普通のことをしていたのに。私が病気??精神科の薬を飲まなきゃなの?わたしはこの日から徐々に自信を無くしていった。
ADHAなんだっていう自覚を持った時から何をしていても気を付けなきゃ、自分が今していることや話しているときおかしくないかな?変にみられてないかな?ってすごく気になってしまう。
こうやって周りから見た自分を極度に気にし続けた結果周りからはADHDと思われることはまずなくなったし全然余裕じゃん。ADHDって治るんじゃん。って気楽に考えていました。病気なんて言っておいてこんな簡単に克服できるのかよって思っていました。
でも違いました。病気を隠し続けた結果周りに本当の意味で理解してくれる人はいなくなり、毎日毎日自分のダメな部分を探し、人とかかわるのも億劫になってしまいましたた。毎日怖いです。今まで関わってくれた友達や大切な人にいつ捨てられるのか。怖くて仕方ないです。本当の自分を見せた時きっと私はみんなに切り捨てられる。母にだって何度も出て行けと言われた。そのときは怒りの感情しかなかったけど今思うと本当につらい思いをさせていたんだなと。私は追い出されたんだ。母から。そりゃそうだ。
正しい判断はできないし、感情で動くし話すし、常識を理解できない、人の気持ちを理解できない。
そんな自分を理解してくれる人間はどこにもいない。だから隠し続けなくてはいけない。毎日怖くてたまらない。誰か助けてほしい。幸せな時もつらい時もいつもADHDは頭の中を支配してくる。
普通の人にある判断力が欲しい。普通の人にある行動力が欲しい。普通の人の思考が欲しい。普通になりたい。
きっと周りに誰もいなくなったときは誰にも見られることがないから気楽なんだろうな。でもそんなの寂しすぎる。
一生ついてくる『隠した自分』に殺されそうだ。
もう心が壊れているのに壊れてることから目をそらし続けてる。認めたくない。
もう周りから切り捨てられる未来しか見えない。